神奈川県善意通訳の集い2005 (2005/10/8)  講演要約


 “おもてなしの心”は伝わっていますか

                         明海大学外国語学部英米語学科教授
                                   明海大学大学院応用言語学研究科教授 山岸勝榮PhD


1.はじめに(Goodwill Guideについて)

Goodwill Guide。実は、私はそれをお店の「のれん」、または「特許権」の案内かと思っていたことがありました。なぜなら、Goodwillとは、辞書には善意という意味以外に、のれん、信用、特許権とあり、例えば「I bought a business with its goodwill. のれんごとある企業を買い取った」というような時に使うからでした。Goodwill Guideというのは非常に曖昧な言い方です。そこで、日本人が理解しているつもりの“おもてなしの心”は本当に伝わっていますかと、皆様にも申し上げたいのです。

Goodwill Guideをインターネットで調べてみました。それは日本と韓国のサイトだけにあり、英語圏で探すのは無理でした。そして日本のそれには三種の表記がありました。神奈川県Goodwill Guide、ある県ではGood-will Guide、四国のある県ではGood Will Guideと三語での表記になっています。最後の例は一番まずい表記の仕方です。ストラクチャル観点からは「良いWillの案内」です。例えば、Good Book Guideは良書、あるいはバイブル案内ということです。Good God Guideと言うと、キリスト案内のことになります。Good Honeymoon Guideはハネムーンに行く時にお勧めのスポットを書いたガイドという意味です。構造的には、Goodwill Guideもそれらと同じレベルになってきます。そうなると英語を母語、母国語とする方たち、または英語がよくわかる方たちには多少違和感が生じます。少なくとも、自然には響きません。Volunteer Intercultural GuideやVolunteer Interpreter and Tour Guideならもっとよくわかります。

これは手遅れかと思っていますが、みんなで間違えれば正しくなってしまう。曖昧ではありますが、これも日本人英語(Japanese English)として、まあいいのではないか。それを広めるのも一つの手です。日本人英語と言えば、次のようなものが既にあります。

 英語関係者の会合に出席しますと、ほとんど常に日本人からは「山岸先生どうぞ」の意味で“Professor Yamagishi, please.”と言われます。皆さん、「どうぞ」をpleaseだと思っておられるのです。私がお茶を飲んでいて、時間が来たのに出て行くのが遅い、主催者側が“Hurry up!”と思っている、そんな場合なら、「山岸先生、何をしているんですか。早く出てください」という意味になりますから、pleaseを使ってもいいのです。しかし、英語では、単に人を紹介する時は“Professor Yamagishi.”だけで十分です。英語のpleaseは日本語の「どうかお願い」です。例えば“Please sit down.”はpleaseを付けても、命令、Orderには変わりはない。英語では「ご着席ください」を“Please be seated.”などのように言います。少なくとも日本人の考える「どうぞ」とはずいぶん違います。もうひとつ多くの日本人が間違えて使っているのがof courseです。外国人が“Can I borrow your pencil?”と訊いた時、日本人はよく“Yes, of course.”と答えます。これは尊大な言い方です。フレンドリーであろうとするなら“Sure!”、“Go ahead.”、“Why not?”などです。例えば「山岸先生は山口県のご出身ですか」と訊かれて、“Of course.”と答えると、「君、僕は有名なんだよ。そんなことも知らないの」という含みさえ出てしまいます。そんな尊大な響きがあるのです。では、of courseはどんな時に使うかと言いますと、「うちで主催するパーティに出る? 」と訊かれたような場合なら、“Of course.”でいいわけです。「あたりまえじゃない」という感覚でとっておけばまず間違いありません。英語圏の人々には、そんな響きがあるということを知っていただきたい。


2.宗教が言語にどう関わるか

どこの国でもそうですが、現在、人々の宗教心というのは薄れています。しかし、実際は英語圏も、私たち神道、仏教、儒教の影響を言動の中に取り入れているのと同じで、文化の根深いところにそれを反映させています。たとえば、アメリカの大統領は就任式で左手を聖書の上に置いて、神に対して誓います。そこに立ち会うのが最高裁長官(the Chief Justice of the United States)、つまり “Chief Justice”、そこが大事なところです。このjustice(公正、正義)は、まさに宗教そのものに由来する言葉です。権威、authorityを戦後の日本はうさんくさいものだと感じるようになってしまいました。それは、天皇、将軍もしくは大名といった人々、即ち人間が作り上げた権威というものが、一般の人々を抑圧したことの裏返しであるからではないでしょうか。英語でauthorityとはどういうものかは、新約聖書の「ローマ人への手紙」の中に書いてあることでわかります。そこには、「すべての人は上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威はすべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らうものは神の定めに背くものである」と書いてあります。ですから、その権威を民主的に神から授かった大統領は聖書に手を置くのです。その代表者は宗教家ではなく、あくまでも最高裁長官なのです。アメリカで裁判所にjusticeという言葉が使われる理由はここにあります。英語はそのように宗教性のある言語です。日本には神と共にあるauthorityというものはなく、権威の捉え方は時代と共に変わってきます。

(1)人間の精神形成への関わり

先日もあるテレビ番組で、ある外国の僧侶が信徒たちへの説教の中で、「○○教徒でないものは、永遠の地獄に落ちろ」と激しい口調で言っていました。イスラム教に「聖戦 ジハード(jihad)」)という言葉があることは皆様もご存じだと思います。この世で聖戦のために失った手や足は、あの世で天使の翼によって補われると言います。剣と火の宗教という一面を持っているわけです。一神教は一般的に非常に厳しい戒律を持っています。たとえば、英語圏のキリスト教。キリストはお酒を飲んではいけないと言っているわけではありませんが、深酒や酒に酔ってはならないことは教えています。それを飲んではいけないと教えているのが、例えばバプティスト派、モルモン教徒です。

日本では1月から12月まで酒が飲めるぞという歌があります。これは日本人が農耕民族で、お酒を造って、まず神に奉げることから来ています。「おかみさん」という言葉も「噛む人」。何を噛むかというとご飯を噛む。口の中でジアスターゼが出て来ますから、濁酒の様なものができる。これを「おかみさん」と言ったという俗説が出ています。そのくらい、農耕民族である日本人は神と共に生きて来たことになります。例えば、人間の体にある髪。その他はすべて毛、胸毛、腋毛などです。髪の毛は、やはり「かみ」、これは上(かみ)にある神様のことです。だから「かみの毛」と言うわけです。「おおかみ」も「大きな神様」です。昔の日本人は、狼という動物を認識しなかった。「ウォー」と吠えると、きっとこれは神様が山の中にいるのだと想像したでしょう。「こだま」もそうです。木の霊と書きますが、木の神様が人間に応えている。「やまびこ」もそうです。「ひこ」と言うのは神様ですから、山の神様。日本では男の子の名前に「彦」という語を付けます。「むすこ」もそうです。「結びひこ」と言って、人間を生み出す力のある神様のことを、短く「むすこ」と言うのです。「むすめ」は「結びひめ」、すなわち命を結びつける力のあるひめの神様。「むす」というのはひとつの命にする。髪の毛を結ぶ、帯を結ぶ、そこに命を作り出す、日本語にはそういうものが多くあります。

(2)Blue law

「ヨハネによる福音書」の言葉に「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないで父のみもとへ行くことはできない」というのがあります。ここで大事なことは、キリストが「私は道であり、真理であり、命である I am the way, the truth, and the life.」と教えていることです。ですから、それに従って生きればよい。聖書をそのまま信じている限り、人は原則としてノイローゼにはなりません。そしてそれに厳格に従って生きることを規定したのが、アメリカ建国初期のBlue Lawです。このブルーは表紙が青かったからだという説と、あまり厳しいので皆がブルーになるという説とがありますが、メイフラワー号の時代の人たちにとって、一番厳しい規則は何だったかと言いますと、「3回教会に来なかったら死刑である」というものでした。一番わかりやすい例で言いますと、日曜日は働くな、大工仕事はするな、何かの売買はするなということです。そのように、宗教はアメリカ人の生活や考え方に大きな影響を与えたのです。

(3)キリスト教が英語、発想に及ぼした影響(文学、政治、法律表現他)

ジョン・バニヤン、17世紀の人で、英文学に興味のある方ならご存じでしょうが、その著書The Pilgrims Progress(『天路歴程』)は聖書を補うものとしては世界最良の書と言われています。彼はこんなことも言っています。「英国の二大学(つまりオックスフォードとケンブリッジ)の蔵書をもらって、聖書を捨てるよりは、聖書一冊のほうがよりよい武器となる」。サー・エドウィン・アーノルドはイギリスのデイリー・テレグラムに勤め、作家でもあった人ですが、1855年にこんなことを言っています。「一言で尽くせば、すべて聖書のおかげです。私の作家としての訓練は聖書に負うところが大で、ほかの本を 100冊挙げても及びません」。

また、エイブラハム・リンカーンの秘書でリンカーン伝を書いたジョン・ヘイという人物は「ゲティスバーグ・アドレスから聖書に表れる言葉を除けば、その荘厳さは永遠に消え去るであろう」と言っています。つまり、同演説のほとんどは何らかの意味で聖書からの引用であり、これはリンカーン自身も認めていました。ベンジャミン・フランクリンは2点だけに絞ってこう答えています。「神に対するあなたの義務は何ですか」、「隣人に対するあなたの義務は何ですか」。この人たちが、アメリカという国を立派にして行く上でのリーダーだったことは否定できません。

日本で言えば、足尾銅山鉱毒問題で知られる田中正造は国会議員を務めた人でしたが、明治34年(西暦1901年)12月10日、明治天皇に直訴したことで狂人にされてしまいました。亡くなった時、行李(こうり)の中から出て来たものは、自分の日記と一冊の聖書だったと言われています。

(4)日常表現のキリスト教性

A) “Goodbye.”  これは“God be with you.”という意味です。“Good”になったのは、“Good morning.”や“Good afternoon.”の影響を受けたものです。それでも、英語圏の人にとってはやはり“God be with you.”だと思います。

B) 英語圏の人から別れる時に“God bless you.”と言われると、日本人は何も答えない。そんな時は当然 “God bless you, too.”と言わなければならないのですが、向こうの人は何も反応されないことに気落ちしてしまう。これは習慣だから仕方のないことです。くしゃみをして、2回くらい続くと日本人は“Are you all right?”と訊きます。これは早過ぎます。“Bless you.”と言うのが先です。何回もくしゃみをして、それが止まらない時に“Are you all right?”と言うのです。

 C) 「すばらしいご旅行を May you have a blessed trip.」、特にクリスチャンでなくても言ってもいいのです。ガイドをする時も、このように言えば、相手は気持ちよくいられると思います。

D) “Thank God.”、“I can't believe. I just thank God.”もクリスチャンでなくても使えます。「うわー、うれしいな。感謝してしまいます」という気楽な気持ちで使えるのです。Godという言葉はそう簡単に使うものではありませんが、うれしい時にGodという言葉が出てきても、不敬にはあたらないと思います。

E) 英語圏の人はすばらしい贈り物の時に“It was God’s gift.”と言うことがありますが、これも素敵な言い方だと思います。

(5)日常語彙のキリスト教性

A) 「talent」も、元はギリシャ語で「タラント」、金貨を数える時の額、重さです。「マタイによる福音書」の中に出て来ます。「神から人間に委託された才能、天賦」。この「委託された」がとても大切です。これはタラントの例え話ですが、ある主(あるじ)が旅に出る時、自分の僕(しもべ)にそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを託しました。主が帰ってきた時に、タラントはどうしたと尋ねたのです。5タラント、2タラントを託された僕は、それぞれ商売をして倍にしました。主はこれを喜び褒めたのです。しかし、1タラントしか託されなかった僕から、これを失くしたらまた叱られるのではないかと恐れ、地中に埋めておきましたと聞かされ、主は怒ってしまします。なぜ銀行に預けることさえ思いつかなかったのか、預けておけば利子が付いたはずだと言って叱ったのです。この例え話が教えているのは、神は人が世の中のため、他人のために用いることを願って才能や天分「タラント」を各自に与えた。使わなければ、それは神に対する反抗であるということです。英語圏の人々はそれを理解しながら使っている。ですから、皆それぞれ愛され、尊敬されることを子供の時代に教えられ、「self-esteem、自尊心」を植えつけられます。

B) 「difference, objection, disagreement」。「奇をてらって」と言いますが、これは日本語ではマイナスイメージで、他の人と違うことはやってはいけないことになります。それは、集落共同体の中で生きて来たからです。極端な言い方ですが、日本にはカリスマ性の人がいてはいけないのです。同じ村の中で一番大切にされているものは「経験」です。この雲が出ると雨が降る等を知っている人が長老として尊ばれる。ところが、移動民族である英語圏、ヨーロッパ圏、中東アジアの人々は、もっと科学的に持つ力が必要とされます。

「奇をてらう」という慣用句の用例として、“He does things like that in order to show how different he is.”というようなものを収録している辞書もありますが、この英文例は日本語に相当するものとしては間違っています。この英語はnegative connotation(否定的含み)ではなく、positive connotation(肯定的含み)だからです。例えば、アメリカでは子供に「Be different.他人と違いなさい」と教え育てます。How differentは個人主義の世界では褒め言葉です。「違う」ということは悪くない、あるいは当たり前なのです。違いはよくないという文化を持った日本人が英語圏の人と仕事をすることがあります。まず、空港に迎えに行った日に一席設ける可能性が高い。ここで英語圏の人はまずい、何かあるなと考えがちです。日本人からすれば、これはビジネス交渉の場に向けてなるべく平らにしておくための努力をすることになります。そして、気心が知れた段階でそのための交渉をする。向こうでは“Get down to business.”という表現があります。着いた翌日にはすぐにビジネス交渉に入り、その結果うまくいけば、一杯やろうかということもある。順番が違うのです。

日本語に「根回し」という言葉がありますが、英語にピッタリの言葉はない。敢えて似たものを探せばspadeworkになるでしょう。それを入れている和英辞典もあります。英語圏の人が、日本では会議をreconfirmationの場にして、discussionがないではないかと言います。これは結論が出来上がってしまっていることが多いからです。そして、満場一致。これは、長い間、共同社会の中で波風を立てずに行くことから生まれたもの。英語圏の人たちから見れば、「満場一致なんてあるはずがない」と解釈されがちなものです。彼らはできるだけ違いを見つけようとする。波風を立てなければおもしろくないではないかというわけです。では英語圏のspadeworkとはどのようにやっていくか。反対派の中でも影響力のある人を狙い打ちし、データ、数字でpersuade、説得する方法を採ります。

英語には過去は振り向くなという考え方があります。日本人は「先日はどうも、Thank you for the other day.」という言葉を使いますが、英語圏の人は、何がfor the other dayなのかわかりません。「この人はまた欲しがっている、して欲しいのだ」という感覚でとってしまいます。旧約聖書の中にソドムとゴモラという町のことが出て来ます。そこにロトという人がいて、御使いたちから、神様がその町を焼き払ってしまうから「あなたたち家族は、後ろを向かずに前に進みなさい」と言われます。しかし、ロトの妻は友達や親戚がいたためか、命令に背いて振り返ってしまう。そうすると塩の柱(Pillar of Salt)になってしまった。地中海へ行くと、この塩の柱が観光スポットになっています。つまり、英語圏の人は、その場で“Thank you very much.”と礼を言えば、その後に言うことは普通はありません。もし、言うとするなら、その時に言えなかった理由を添えて言う。ヨハネの福音書の最初に出てくる「最初に言葉ありき」というように、言葉を信じますから、その場で「ありがとう」と言ったらそれで充分です。日本ではそうではあまりせん。また儒教や仏教の世界でも、過去、現在、未来は連動しています。したがって、日本では過去にあったことの礼を述べます。英語圏では過去のことは原則として言わない。その時に感謝の気持ちを表現すればいいということになります。宗教、つまりキリスト教やユダヤ教のような一神教が英語圏の文化的背景を成していることは間違いありません。

3.英語圏の人が考えるhospitalityと、日本人が考える「もてなし」の違い

「ヘブルの手紙」の中に「Remember to show hospitality. もてなすことを忘れてはいけません」という神の命令が出て来ます。聖書、あるいはユダヤ教のトーラも、イスラム教のコーランも命令だらけです。「〜してはならない」「〜せよ」という言葉ばかりです。「ペテロの手紙」にこんな言葉があります。「Be hospitable to one another without complaining. 不平を言わずにもてなし合いなさい」。「いま仕事が忙しいのに」とは言えないということです。日本人は都合のいい時にもてなします。これは日本人が悪いわけではありません。日本人の生活体系に基づくものです。普通、その村で生まれ、育ち、死んで行きます。外に行く時は、嫁に行くか、婿に行くか、あるいは特別な代表としてお参りなどに行くかです。当然行った結果、お土産を持って返ります。元々おみやげというのは神社などの護符のことを言います。このように、やはり宗教に関わってきます。そこで、人をもてなすというのは、改まらなければならない外の人になります。家を綺麗にしなくてはいけない、四六時中面倒を見なくてはいけないといったことです。英語圏の人のように、よく移動するとなると、もてなし方がずいぶん違う。例えば、ヒースロー空港に着いて、イギリスの友人に連絡をする。すると彼は「これからヨーロッパに行くけど、鍵はいつものところに置いておくから勝手に使って」と言う。これが普通なのです。ですから、英語圏の人は家に着いたら、客にまず家の地理から教えます。鍵がかかっているところは開けてはいけませんが、それ以外は開けても差し支えない。これを“Make yourself at home.”というわけです。一方、日本人はお客さんとして呼ばれても、他人の家を見ることは普通はしません。応接間に通されたらそこから動かないでしょう。

 昔、ある女子学生の家にアメリカ人女子学生をホームステイさせてくれるように頼んだことがありましたが、その家のお母さんが何日かして、こんなことを言ってきたのです。「アメリカ人って図々しいですね。勝手に冷蔵庫を開けるんですよ」。私はピンと来て「それでは“Make yourself at home.”と言いませんでしたか」と尋ねると、そう言ったというのです。「Make yourself at home.とは、自宅にいるようにしなさいよということですから、冷蔵庫を開けたんですよ」。また、このお母さんは面倒見がいいものですから、彼女のジーパンが汚れているので、自分の娘のものと一緒に洗ってやった。この女子学生は怒りました。日本人なら、「洗っていただいてすみません」となるところでしょうが、アメリカ人にとっては、これはプライバシーを侵したことになるのです。つまり、“思いやり”ということの違いはここにあるのです。いいと思ってやったことが、よけいなお節介になるのです。ですから異文化というものはおもしろいものなのです。習慣が違うだけなので、心を開いて話し合えばわかることです。

 Hospitalityを示しなさいというのは神からの命令ですが、それに関連した語にfriendがあります。日本人はpolite serviceと聞けば丁寧な対応をすることだと思うでしょうが、英語ではこれをとても堅くて、冷たいと感じます。「This morning I got a polite letter from B Company. 今朝、B社から丁寧な手紙を受け取った。」と聞けば、英語圏の人は、ああこの人は断られたのだなと思うでしょう。英語では、「このホテルはとても対応がよくて丁寧だ」と言う時はfriendly serviceという言い方を用います。そこで、なぜfriendlyであるのがいいかと言いますと、friendは聖書の中に何度も概念として出て来ますが、それは主キリストの説く神の道を共に歩む者という意味です。そういう態度で接することをfriendlyと言います。しかし、日本人の多くはfriendlyという言葉をなれなれしいと捉えます。それは私たちが縦社会の中で生きて来たからです。たとえば、学生が私にfriendlyな言葉を使えば、これだけ英語圏の文化を勉強していても、違和感があります。それは、日本語は縦社会を表す言葉になっているからです。敬語は本来神様に対して使った言葉です。ちなみに、日本には八百万の神がいて、誰でも野球の神様、辞書の神様になりたいと思っているし、神様になれます。唯一絶対の神様の世界では、そんなことはあり得ません。

先ほど言いましたように“Make yourself at home.”と言えば、「自宅にいるように振舞って」ということです。英語でツアーガイドをする時は「friendlyにするのがよい」のですが、これが日本語にはなりません。friendlyを犬に関して辞書を引きますと、「動物が人なつこい」と書いてあります。これは英語圏の考え方を日本語で表していません。それは「人なつこい」という言葉に上下関係が付きまとうからです。例えば、私たちは年長者に対して「あの人、人なつこいよ」という言葉を普通は用いません。いずれにせよ、我々は日本人であっても、英語を使う以上は英語的感覚でfriendlyな友であろうと努めるのがいいと思います。心を込めてもてなすということにつながります。

もてなすということは、considerateとthoughtfulということで、思いやりです。まず、thoughtfulという言葉は、相手が幸福感をもつような思いやり。具体的に言えば、誕生日カードがそうです。ボランティアガイドが一番大切にしてよい言葉だと思います。もうひとつが、considerate。これも思いやりです。違いは、considerateは相手の要求や気持ちを察する、気持ちを害さないようにする。例えば、電車の中でイヤホンを使って音楽を聴いている時、音が外にもれないようにボリュームを調節する。これができる人がconsiderate personです。あるいは、ドアを後ろの人のために押さえておいてあげる。よく外国の人が、日本人はドアの開閉に関して無礼だと言います。これは日本を少し勉強すればわかることで、横開きの戸の文化のためです。したがって、横開きの戸に関するマナーをたくさん発達させました。お盆を持っている時は、どのように開けるか等です。日本の家の構造の中で、後ろに戸が開いたりするものはほとんどない。ですから、私たちは新しいマナーを覚えて行かざるを得ないのです。

4.使用にあたって要注意の日常的英語表現

A) Let's go drinking.→Let's have a drink.

農耕民族で神に酒を奉げる文化の日本。これを示す例は日常生活の中にたくさんあります。たとえば、私たちは宴に遅れて来た人に向かって「駆けつけ三杯」と言うことがありますが、これは式三献という儀式に由来しているようです。最初は酒礼と言って酒を神様に奉げるのです。二度目は饗膳と言いますが、その時に宴のお酒を目上の人に奉げます。最後は酒宴と言って、無礼講のことでもあります。遅れて来た人はこの儀式ceremonyをやっていないから、“You are late. So you have to have three cups.”となるわけです。欧米人なら、遅れて来たのになぜ3杯も飲むのかと嫌がるでしょう。日本人がよく言う英語表現“Let's go drinking!”は「へべれけになりに行こうよ」というニュアンスの言葉で、英語圏の人はまず言いません。キリストが酒に酔ってはならないことを教えているからだと思います。彼らは“Let's have a drink!”とか、“Let's get a drink!”と言うでしょう。

B)  How much do you drink? /How often do you drink (a week)?

「お酒強いんですか」、「1週間にどのくらい飲むのですか」ということは訊きません。例えば、日本人学生が「私の父はお酒が強い My father is a heavy drinker.」と言ったり書いたりすれば、これを耳目にする英語圏人は、ああこの学生の父親はsocial drop-out (社会的落伍者)なのだろう解釈するかも知れません。

C) Let me pour you some beer

「おつぎしましょう」。英語圏には、酒を注いだり、注がれたりするという文化はないと言ってよいでしょう。したがって、酒を注がれることを嫌がる人が多いようです。酒は自分で飲むもの、controlするもの、酒の量は自分で決めるものだと考えます。

D) “Would you like some more coffee?” “I've had enough.”

日本人はこのように答えますが、これは好ましくありません。向こうから“Would you like some more coffee?”などと訊かれたら、“I've had enough, thank you.”あるいは“No, thank you. I've had enough.”のように、“thank you”や “no, thank you”を付けて応えるのが英語における原則です。これを付けないと、「もううんざりです」と言っているように響くからです。

E) (Introduction) Her name is Jane Smith. She comes from Canada. 

sheやherは人称代名詞ですから、文の初めから出て来ることはありません。したがって、“Who is she?”という言い方もおかしいわけです。これでは、「あそこにいる、あのメスネコ(メスイヌ)だあれ」とでも言っているような響きが出て来てしまいます。必ず“Who's that lady over there?”とします。人を紹介する場合も、例えば“Her name is Jane Smith. She comes from Canada.”と言えば、「ここにいるメス(ネコ・イヌ)の名はジェーン・スミスです。彼女はカナダから来ました。」とでも言っているようで、英語としては不自然な言い方になってしまいます。「こちらは〜」と言う気持ちで、必ず“This is〜.”で始めます。

F) (Introduction) Professor Yamagishi, please! は1章でお話ししました。

G) “Atchoo! /Atishoo! (I’m afraid I’m catching cold.)” “Are you all right?” 2章(4)Bでお話ししました。

H) I recommend Hotel Silk Road to you. They have polite service at the hotel. 

polite service”よりも“friendly service”と言う方がいい。3章でも触れました。

I) Thank you for the other day. 2章(5)Bでお話ししました

5.おわりに---「Goodwill Guide」の要件

私もよくガイドをします(「しました」と過去形で言うほうが正確です)が、一番大切なことは、goodwill without limitation”、即ち、「限りない善意」だと思うのです。報酬を求めない。それが、実は「信用」という言葉と結びつき、「のれん」という言葉と結び付くことも単なる偶然ではないと思います。それからthoughtful person”であること。そして、何よりもfeedback”よくも悪くも、反応(声)を求める必要はあるだろうということ。これは皆様方がいつもやっておられることです。それからpatriotic”であること。英語圏の人が私に「どうして日本人はpatrioticな人が少ないのか」と訊きます。それは「愛国心」という言葉が戦争と関わっているからだと思います。それは戦争があったから仕方のないことです。しかし私は国を愛することは大切なことだと思いますし、何よりも外国人からの疑問にきちんと答えるためにも必要なことです。

終わりにあたって申し上げたいのは、日本人は皆様のように、ガイドを務めることに一番似合った国民ではないかということです。なぜかと申しますと、今皆様はこれを可能な時間帯での仕事になさっているわけですが、「仕事」という言葉は“仕える事”と書きます。誰に仕えるのか、実は“神様に仕える”のです。よく日本人はworkaholicだと言われますが、これは当たり前と言えば当たり前なのです(もちろん現代的観点で言った場合の「働き過ぎ」は問題ですが)。日本人は「仕事」という言葉を好んで使って来た、つまり農耕の神様に仕えて来たのですから、“仕事大好き人間”であることも、ある意味で、仕方がないことだろうと思います。

 最後にもうひとつ申し上げたいのは、「私」という言葉。これについては、『大言海』を著した大槻文彦博士が、その辞書の中で、「私という言葉は、われを尽くす。“われつくし”という言葉が語源か」と書いています。自分を尽くして、尽くして、尽くしきる。まさに、“Goodwill without limitation”ということです。「自分」という言葉もそうです。「自らを分ける」と書きますが、「自分の体を少しずつでも分けて、人に尽くす」。そういう社会の中で我々は生まれて生きて来ました。ですから、皆様方がなさっている仕事こそが「われつくし」であり、自分を活かしきることだろうと思うのです。 (以上)


要約後記 先生が私たちに伝えようとされたものを、テープ起こしから出来るだけ正確に要約するよう努めました。ところが、先生はそれに目を通され、加除修正をされて戻ってきた要約文は、私の理解が十分でなかったところが目を見張るばかりの、的確な言葉と表現に変わり、私たちの貴重な教科書となってしまいました。スーパーアンカー英和・和英辞典を編纂された先生の職業柄やご性格が良く反映されています。当日、聴講できなかった会員の方々も、これを読まれるなら、そこから得られるものが多いと信じています。 (要約担当: 橋本玲子)